自分自身で在るということ

最近何だかうまくいかないというか

もやもやしたものを抱えているような気がした。

どうして?なんで?

自分の声、聞いてるのに。何か間違ってる?

暑さでイライラしているのかもしれない。

だけど、何だってこんなにイライラ、ささくれだっているんだろう。

そう思った時に、ふっと湧き上がるものがあった。

わたしは何かを勘違いしているのかもしれない、と。

イライラして、つい周りに攻撃的になっていたのかと思っていたけど、そうじゃなくて。

自分自身で在ろうとして、知らず知らずわがままに、攻撃的になってしまっていたのかな?と思ったんです。

在り方の方向性を、見失っているというか。

自分自身で在るために、好きなことをする。やりたくないことはやらない。言いたいことは言う。

でも、それとわがままになってしまうことはまた違うんじゃないかと思うんです。

わたしは、いつの間にか与えられることが当然になってしまっていた。

わたしは、いつの間にか我を押し通すことだけが正しいと思ってしまっていた。

相手には相手の自分自身で在るという行動があるのにね。

わたしは、芯が通った人間でありたいけれど、自分に固執して頑固に攻撃的になるのは嫌だなと思いました。

自分というものがあれば、相手の考えが違っても折れることはない。

わたしは相手をねじ伏せる、外側にパワーを使うのではなく、相手の考えが違ってもそれを内にいれないことが必要なのだと思います。

同じようで、違います。

外に発する攻撃的なエネルギーと、自分を守る、自分の内側を大切にするエネルギー。

別に、言いたいことを言うって、波風立てに行け!ということではなく(笑)

本当は、こう思ってるよね、わかってるよ、って自分のことを見つめるだけでいいんじゃないかな?

言う、言わないはまた別の話だし、言うにしても、攻撃的に言うから、わたしはもやもやしてたのかも。

言わないという選択肢だって、自分の内側がわかっていればOKなんです。

心がほっと喜ぶことがゴール!