2018年米国旅行(31)

.2018年米国旅行(31)

9月13日(米国滞在20日目)

今日はアラスカ3番目最後の寄港地スカグウェーに入港し、8時から午後5時まで市内を見学する。

朝6時に目が覚める。窓から外を見る。雲が厚い。海面をみると雨が降ってようだ。寒そうだ。この航海中、アメリカ旅行中で初めての雨を見る。

朝食を豪華に2人で「ボッテチェリー」と言う名前の6階のレストランで食べる。いつも夕食を食べるところだ。パンケーキにハチミツ、バター、ベーコン、ハッシドビーフ、ソーセージもついてくる。紅茶の他にパイナップルジュース、ジャム入りのヨーグルトも頼んだ。

兄弟の1人が昨夜から具合が悪くなった。風邪をひいたらしい。ジュノーで昼間は暑く太陽が出て暑かったのに、夕方急速に気温が下がったのに、対応できなかったようだ。仕方なくしばらくキャビンで横になり回復を待つことにした。スカグウェーの町に出るのは、2人になった。彼は一番スカグウェー訪問を楽しみにして、この町を有名にした人物のことも調べていたのに残念。

この町は100年以上も前、ゴールドラッシュで急速に発展し、世界中から金を目当てに人が集まり、金が掘り尽くされたら人がいなくなり、元の静かな町に戻ったと言う歴史の場所である。今でもゴールドラッシュ時代の町がそのまま残ってる。商店街のいろいろな商売の店、劇場、鉄道駅、碁盤目の通りを歩いているだけだも面白い。

今ではクルーズの寄港地になり、今朝も大型のクルーズ船が3隻も港にある。5000人以上の乗客が今日一日だけでも町にいることになり、大きなビジネスが生まれている。私たちのように船を降りて、町歩きをするのは少数派で多くの乗客は、水上飛行機、ヘリコプター、観光列車で山に向かい氷河を見に行く。

町に出るのは簡単だ。クルーズターミナルから1キロも歩けば、町の中心部にでる。鉄道駅から歩き出す。アラスカ州の公園管理官が行う、無料のツアーに参加して町の歴史を知る。早い英語を話すので全部は分からないが、日本人は私一人、多分他の参加者もこの人の英語を全部は理解できないだろう。

この町スカグウェーを有名にしたゴールドラッシュ時代の人物は、相当の知恵者で、相当の悪党だった。安い石鹸を高値で売ったり、電報で送金できると偽り金を巻き上げる。電

話回線もないのに電報の商売をしていた。最後は銃で3発も撃たれて即死した。でも町にとっては酒場、劇場、バスを走らせるなどの仕事は彼の業績と考えていた。

彼が撃たれた現場、酒場、劇場などが残って、観光名所にもなっている。ガイドから彼の墓場が町から3マイル離れた山の中にあると聞いたので、行くことにした。3マイルは5キロ以上もあり歩くのには遠かったが到着。「金鉱採掘者の墓」の一角に彼の墓があった。

驚くのはその隣に日本語で書かれた「岡山縣人、壱千九百年」の墓標がある。金鉱採掘に岡山縣からやってきて、西暦1900年に亡くなったのだろうか。彼にも興味深い人生があったのだろう。

昼間は一時的に晴れていたが、山から雲が降りて来て冷たい雨になった。帰りも途中まで川に沿って歩いた。雨に霞む遠くの山頂には雪が残り、いかにもアラスカにいる印象を受ける。町に行く路線バスに乗る。地元の運転手「いかにスカグウェーは治安が良いか」を教えてくれる。町に警察官は4人、そのうち1人は別の部署へ行っている。最後の犯罪は酔っ払いが自転車を深夜盗んだが、酔っていたので乗ること出来ず、自転車を通りに放置して、地元の人が通報した」ことだと。本当か、自慢話か。

5時前にエメラルド号に戻る。冷えた体に温かい紅茶が美味しい。夜はワインバレーへ行く。ワインをお金を払って買えば握りすし6個が無料で食べられる。ネタは新鮮でだが、ご飯が良くない。酢の混ぜ方が私にもわかるほどひどすぎる。なぜかキュウリ、タクアン、レタスの上に握り寿司がのっている。タイ人の女性がカウンターで握っていた。

明日は一日航海日。船はカナダの ヴィクトリアへ南方向に向かって進んでいる。カナダ入国証明書が部屋に置いてあった。シアトルまで後3日である。カルフォルニア時間に1時間遅くする。

寝ていた友達の具合は回復していない。咳が止まらなくなって苦しそう。2年前私のピースボートの時と同じ、最初は風邪、喉と鼻が乾き、食欲がが無くなり、咳が止まらなくなる。狭い室内の換気が悪く湿度のある気温が保てないからだ。船を降りて新鮮な外気を吸えば治る。

アラスカ州スカグウェーの街並み

スカグウェーを有名した悪党ソーピィ スミス

スカグウェーの夕景

金鉱採掘者たちの墓

金鉱採掘者の墓地で見つけた日本人の墓標

アラスカ夕景