さばはこれでひとまずおしまい

 金曜の仕事の帰りは、風浦駅から自宅まで歩きながら、例の鯖の詩の続きを考えていた。歩いていると頭が興奮するので、いくつか詩行が浮かぶ。お、これはいいな、と自画自賛しながら、しかしパソコンで打った瞬間、浦島太郎の玉手箱のようにぼわんと、ダメな詩句になるのはうすうすわかっている。

 帰宅して、鯖の詩を直しにかかるが、案の定、歩いているときに考えた詩行はつかいものにならない。それどころか、鯖の詩そのものが、無残なものにみえてきた。冒頭から書き直しにかかるがうまくいかない。

 ずいぶん前、詩誌『びーぐる』の特集で、詩の書き方というものがあった時、自作の詩の推敲過程を再現してみた。これは事後に再現したものなので、もちろん作話となっている。実際の現象とは違う、一種の物語になっていた。今回は、実際に書く過程を実況中継しようと思ったのだが、やはりこれは失敗だった。

 作文の速度と、詩の速度が合わない。作文で考えた近接性という語に縛られて、詩の発語のエネルギーが損失している。今回の詩は、文脈の交差を不条理風に書く、というデザインが先だってしまい、それが逆に発語の勢いに水を差してしまったのであった。速度の違うものを並行してやろうというのは、当方にとってははやり無理がある、と今更ながらに反省。

 虚心にかえって、一から書き出そうとするが、こうなってしまってはもう初源に戻ることはできない。覆水盆に帰らず、というやつだ。しかし、せっかくのこの発語のエネルギーはなんとか形にしたい。しばらく四苦八苦して、先日の作を添削するような気分で、とりあえず以下のようなものに書き直した。

  

 

さうです

あの鯖にはほんたうに気の毒なことをしました

耳はかたほう

どこかに落としてきてしまったので

馬のいななく声も

犬の探してくれる声も今はきこえない

わたしののどの土地を

鯖が

くるしみながら滑り落ちていく

(ひとならただ焼いてしまうだけでいいのに)

数であることは

骨になったところでちっとも終わらない

きみは

影を刺してやりたい

と思ったことはありますか

(ある)

という鯖の無声音を

わたしはきょう

かたがわだけの世界で聴いています

 

 アリストテレスの馬と犬の話は切ってしまおうかと思ったが、これは私情があって切りにくい。とりあえず後景に持っていくような感じで残した。この詩については、実況中継などという色気を出したために、どうやら泥沼にはまってしまったようである。これ以上この地点で続けても良い展開になりそうもない。あと数か月くらいして、書いた詩を忘れたころに、もう一度見直してみたい。