エジプト訪問記2000

2月22日(火)午後

 

ルクソール東岸

昼には例の旅行社提携のホテルへ戻った。昼食はバイキング式。飲み物の注文を取りにボーイが来る。本当に小さなBoyだった。水と茶を注文した。食事が終わる頃、旅行者の男が来る。バクシーシについて聞いてみる。ホテルでは飲み物の注文だけなのに、一人当たり5£E、ガイドに40£E、運転手には少なくてもよい、しかし自分には40£Eほしいという。`99年版の案内書にはガイドには10£E程度とある。いくら物価上昇があると言っても、多すぎると感じる。水もお茶もホテルで6£E(店なら1.5£E)。飲み物代を含めて各10£Eをボーイに渡し、釣りはチップとしてあげるというと、ボーイは「えっ!?信じられない!そんなにくれるの?」という。いやなら返してもらってもいいんだよと言うと、すごい喜びようで、レシートを取りに行った。やはり旅行社の男は明らかにふっかけてきている。

 

空港のある東岸では2カ所の神殿を見た。例の銃撃事件のあったのはどちらだったのだろう?(銃撃事件はハトシェプスト葬祭殿だったようだ。ガイドは何の説明もしなかった。)ガイドに聞きそびれる。一時、軍隊による警備が厳しかったと聞いていたが、今は平穏な感じである。最初に大きな神殿を訪れる。

 

カルナック大神殿。実に壮大である。神殿入り口には巨大な羊の像の列。特に太い列柱の並ぶ回廊が圧巻であった。高さ23mもある柱が134本、立っているとのこと。表面にはレリーフが彩色されて残っている部分もあるが、相当痛みが激しいらしく、補修部分が多い。案内書によれば(ガイドはほとんど説明をしてくれない。こちらも何も知らないから、聞きようもない)、この神殿は古代エジプトの首都テーベを象徴するところとのこと。当時のアモン神を信仰するファラオたちが何代にもわたって付け足し築き上げてきた神殿とのことで、ハトシェプスト女王、ラムセス2世などの時代に最盛期を迎えたとのこと。オリベスク(ギリシャ語の「針」「串」に由来する言葉、中王国時代から新中王国時代にかけて多数作られたとのことで、アスワンの赤色花崗岩がよく利用され、ナイルの増水を利用して当地まで運ばれたという)が3本、うち1本は横倒しになっていて、これはハトシェプスト女王が建てたものだったそうだが、何か謂れがあって、倒されたらしい。長さが30mあり、エジプトに現存する物の中では最も大きいという。

     

カルナック神殿大列柱室

 

カルナック神殿オベリスク