第十一話 ヒマラヤ山麓の僧院
「僧院と言うからには、生きるということを、少なくとも世俗の人たちよりも真面目に考えている人々が住んでいると見ていいだろう。いかなる戒律を己に課しているか知らないが、不自然であろうと、ゆがんでいようと、自分がよしとした生き方を選び、実行している人々が住んでいることだけは確かである」(『星と祭』上)
これはヒマラヤ山麓のチベット仏教の僧院(タンボチェ僧院 ネパール)を思って考えたことを述べた部分であるが、宗教全般に共通することでもある。「不自然であろうと、ゆがんでいようと、自分がよしとした生き方を選び」とはうまい表現である。